沿革史

更新日:2022年05月16日

昭和48年に和泉市で作成された「和泉市総合基本構想」に基づいて”人間回復のまちづくり”をメインテーマに、市の発展と魅力ある町作りを目指して「和泉中央丘陵新住宅市街地開発事業」が始まりました。
平成3年に中央丘陵北部地区は「和泉市の新都心として新しい時代の息吹を感じさせる街となるよう、また市内のみならず、泉州地域の先進的開発拠点としての息吹を感じさせる街を目指し、人々の勢いの結集した街となりますように」と”いぶき野”と名付けられました。
平成4年4月、和泉市の20番目の小学校として「いぶき野小学校」が誕生しました。


平成7年には校区に泉北高速鉄道が延伸し「和泉中央駅」も誕生しました。鉄道開発によって大阪中心部までが数十分圏内となり、いぶき野の町は大きなベッドタウンとして発展してきました。
平成23年には創立20周年を迎え、大規模化してきた学校規模も少し落ち着きを見せ始めました。それでもなお当時は1000名に近い児童数と50名以上の職員の大規模校でした。

「明るく、元気で、思いやりのある子どもの育成」と「自ら課題を見つけ、考え、判断し、行動する子どもの育成」を学校教育目標に掲げ、日々の学校教育活動を行っています。

令和3年には、創立30周年を迎えました。870名を超える児童数と、68名の教職員数という、和泉市立小学校の内では2番目に大きな規模の学校でした。