和泉の伝説

更新日:2020年03月02日

葛の葉物語

「葛の葉物語」は、「信太妻」ともよばれ、文学・歌舞伎・浄瑠璃・文楽・説教節・瞽女唄(ごぜうた)など、あらゆる文学・芸能ジャンルでとりあげられてきました。江戸時代、竹田出雲による「芦屋道満大内鑑」(あしやどうまんおおうちかがみ)は歌舞伎で大ヒットし、特に「葛の葉子別れの段」は有名で、今日まで多くの人々に愛好されてきました。物語は、平安時代の天文博士安倍晴明の出生と活躍がえがかれています。信太の森で生まれ、信太の森が育てた作品です。

狐葛の葉の画像

昔、村上天皇(10世紀)のとき、摂津の国に安倍保名(あべのやすな)という人がすんでいました。ある日、信太大明神に参詣し、みそぎをしようと池のほとりにたっていると、狩人に追われ傷ついた狐が逃げてきました。保名は、狐をかくまい逃がしてやりました。追ってきた狩人たちは、保名をさんざん責め、深い傷を負わせてしまいました。傷で苦しんでいる保名のもとへ、若い女がたずねて来ました。女の名は、葛の葉といい、かいがいしく保名の傷の手当をしました。
やがて、保名の傷も治り、2人がともに暮らすうち、かわいい童子も誕生し幸せな日々が過ぎていきました。6年目のある秋の日、葛の葉は、庭に咲く美しい菊に心をうばわれ、自分が狐であることをつい忘れ、うっかり正体のしっぽをだしていました。童子にその正体を見つけられた葛の葉は、ともに暮らすのもこれまでと、
 

恋しくばたずね来きてみよ和泉なる
信太の森のうらみ葛の葉

 の一首を残して信太の森へと去っていきました。保名と童子は母を求めて信太の森を探し歩きました。森の奥深くまできたとき、保名がふと振り向くと、1匹の狐が涙を流してじっと2人を見つめていました。はっと気がついた保名は、「その姿では子どもが怖がる、もとの葛の葉なっておくれ。」保名の声に、狐は傍らの池に自分の姿を映したかと思うとたちまち葛の葉の姿となりました。
「わたしは、この森に住む白狐です、危ない命を助けられたやさしさにひかれ、今まで、お仕えさせていただきました。ひとたび狐にもどった以上、もはや、人間の世界にはもどれません。」と、とりすがる童子を諭しながら、形見に白い玉を与え、最後の別れをおしみつつ、ふたたび狐の姿となって森の奥へと消えていきました。この童子こそ、やがて成人して陰陽道の始祖・天文博士に任じられた安倍晴明(あべのせいめい)だと語られています。
 

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