信太みこし(しのだみこし)
信太のみこし紹介


聖神社宝物神輿
出 典:國寶聖神社本殿修理報告
著 者:國寶聖神社本殿修理事務所編纂
刊行年:昭和13年(1938)
神社(じんじゃ) | 聖神社(ひじりじんじゃ) |
神輿渡御(みこしとぎょ)の始り | 養老4年(720) |
神輿(聖神社宝物) |
文明15年(1483)製作 昭和13年(1938)文部省重要美術品認定(非公開) |
神輿 | 明治21年(1888)新調 |
特徴
聖神社の神輿渡御の起源は、伝えられるところによると奈良時代にまで遡ると言われています。養老4年(720)隼人の反乱を討伐した際、放生会を諸国で行うべしとのご託宣が下り、和泉国においては、五社(大鳥・穴師・聖・積川・日根)の神輿が府中の惣社まで神幸し、和泉清水に臨んで放生会を修しました。当神事は、和泉五社祭礼として毎年旧暦8月15日に斎行されてきましたが、天正13年(1585)根来討伐の兵火と豊臣秀吉による神領没収のため廃絶となりました。しかしながら、五社祭礼の廃絶後も、各社はその格式に相応しい神事を斎行してきました。聖神社においては、慶長13年(1608)の祭礼を最後に助松の浜への神幸は行われなくなりましたが、信太山十景ヶ原に御旅所を設け、氏子全町を巡幸路とする神輿渡御を現在に至るまで執り行っています。現在の神輿渡御は、本殿での遷幸祭に始まり、御旅所神事、神人共食の儀礼、熊野街道沿の一之鳥居にての八衢清祓い、氏子各町への巡幸を経て神社に還御した後、還幸祭を執り行い斎了となります。神輿に飾られていたサラシを、腹帯にすると安産、子授けの御守になると言われ、還幸祭斎了後、母子息災、子孫繁栄を願う人たちに授けられます。
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更新日:2025年05月30日