産業功労者、久保恒彦氏の顕彰碑を建立
産業功労者顕彰碑の建立
和泉市では、市制施行60周年記念事業の一環として、産業団地「テクノステージ和泉」の建設(いずみコスモポリス事業)を推進し、産業振興の面で多大な功績のあった、久保恒彦氏(和泉市名誉市民、トヨタ久保グループ代表)の顕彰碑を、和泉市久保惣記念美術館に隣接する公園内に建立し、11月27日(日曜日)、除幕式を行いました。
当日は久保恒彦氏並びにご子息の行央氏、尚平氏のご出席のもと、辻宏康和泉市長をはじめ市議会、商工関係者、地元関係者など計60人が参加し、除幕式・式典が盛大にとり行われました。
碑文の内容
久保恒彦氏顕彰碑
久保恒彦氏は、明治時代からおよそ百年の歴史を有し、泉州を代表する綿業の名門企業であった「久保惣」の創業者、初代久保惣太郎氏のご令孫として、昭和四年に和泉市で誕生されました。若年よりトヨタカローラ南海、トヨタカローラ新大阪両グループの代表者に就任され、並びに 初代久保惣太郎氏 二代惣太郎氏 忠清氏 三代惣太郎氏に続き、久保惣株式会社の五代目代表者を引き継がれ、現在に至るまで経営者としての長い道のりを歩まれています。
昭和六十二年には和泉市から要請を受け、「株式会社いずみコスモポリス」の代表取締役に就任され、幅広い人脈を活かして企業誘致を推し進めるとともに、優れた統率力で幾多の困難を乗り越え、いずみコスモポリス事業を成功に導かれました。
現在、この事業により完成した産業団地「テクノステージ和泉」に多くの優良企業が立地し、本市の産業の発展、雇用の拡大に寄与している状況を見ると、氏の成し遂げた業績と本市への貢献は誠に偉大であります。
実業から離れた文化面では、昭和五十七年に、久保惣株式会社廃業を機として御兄弟とともに、国宝を含む日本と中国美術の世界的な久保惣コレクションを、土地、建物、基金とともに和泉市に寄贈され、「和泉市久保惣記念美術館」の開設に導いたことが特筆されます。
氏の高邁な人格と卓越した識見、郷土に対する深い想い、並びに歴代の久保惣の代表者に引き継がれてきた公共への奉仕の精神を継承し実践する姿勢は、市民の全てが郷土の誇りとして敬愛するものであり、平成十八年に和泉市名誉市民の称号が贈られました。また、その後十年を経ても、氏は本市の文化芸術の振興のために、物心両面にわたる支援を重ねておられます。
市制施行六十周年を迎えるに当たり、久保惣発祥の地であるこの地に、久保恒彦氏のご功績を称える碑を建立いたします。
平成二十八年十一月吉日 和泉市長 辻 宏康
式典でのご挨拶やご祝辞
辻宏康市長
久保家の皆様方の本市に対するご貢献を言い尽くすことはできません。私の市長在任中に市制60周年を迎え、久保様の顕彰碑を建立できたことは大変な名誉であり誇りに感じています。
友田博文市議会議長
昭和30年代に自動車販売業に進出し、現在の成功を収められた久保様は実業家として誠に偉大。テクノステージ和泉の成功もひとえに久保様のご尽力によるものと承知しています。
山本和泉商工会議所会頭
早くから繊維産業の衰退を見据え、泉州における次世代の産業を研究しておられました。私たち企業経営者の後輩に対しアドバイスを頂くなど、心から感謝しています。
坂本テクノステージ和泉まちづくり協議会会長
自社は大阪市で創業したが、テクノステージ和泉に移転してから社業が大いに伸長した。あらためて久保様に感謝と敬意を表します。
岸脇和泉商工会議所名誉会頭
久保様は大変大きな事業を展開され、美術館の寄贈をはじめ社会貢献もされている。また気品も備えておられ、私たち企業経営者にとって憧れの存在です。
久保恒彦氏の謝辞(要旨)
この度は、和泉市より私のために産業功労者として顕彰碑を建立して頂き、またこの様に立派な除幕式までとり行って頂き、重ね重ね身に余る光栄です。
市長をはじめ、市関係者、地元の方々のご尽力の賜物と深く感謝し、心より御礼申し上げます。
振り返ってみますと、和泉コスモポリスが完成できたのは、決して私一人の力ではなく、当時の国・府・市・地域の皆様方のご努力、ご尽力があってこそだと考えています。
少し当時を振り返ってみますと、昭和62年、当時の池田忠雄和泉市長より、第三セクターの「株式会社和泉コスモポリス」の社長をやって欲しいとのご要請がありました。
当時、大阪南部の3つのコスモポリス構想は、関西国際空港開港に合わせ大阪経済の再興を願ってスタートしたもので、国は出資をしませんでしたが、府・市・民間で出資され、従業員も同じ構成でした。
勇ましくスタートしましたが、スタート直後からバブル崩壊、そして土地神話が崩れだし、さらに当時各企業が生産拠点を国内から海外に求め出した時期にあたりました。
しかし、大阪府、そして我々の理想は高く、大阪における繊維産業に次ぐ、次世代産業の製造拠点、例えばシリコンバレーの泉州版を考えていました。ですから、超一流の上場企業で最先端の技術を誇る工場を、和泉コスモに誘致するため一生懸命になり、突っ走っておりました。
松下さん、住友電工さん、日本電気さん等の上場企業を一生懸命かけずりまわってみました。特に松下さんは、和泉市と御縁がありまして、太平洋戦争中は久保惣から松下さんに一時、この美術館と工場のある第一工場を売却していました。最先端産業が和泉市に立地していたわけです。
松下さんが、飛行機搭載の無線機を製造していまして、その関係で松下 幸之助の娘婿の松下 正治(まさはる)さん御夫妻が今の美術館の茶室にお住まいになった御縁もあり、もう一度松下さんに和泉市に来てくださいと頼み込んだ事もありましたが、上手くいきませんでした。
なかなか誘致企業が決まらないまま苦悩している時、国会議員の方から早急に会いたいとの御連絡があり、お話を伺うと、「国の意向として、第三セクターで見込みの薄いプロジェクトは解散させる方針だ。すでに大阪南部の他のコスモポリス計画は解散が決定し、残りの和泉コスモをどうするか検討する時期にきている。至急なんとか誘致の決定をしてほしい」というお話で、私も随分慌ててしまいました。
その時思いついたのが、コンピューターでした。コンピューターセンターを、工業専用地域で何とか立地の許可がもらえないかと考えました。大阪府さんと相談する一方、損害保険会社7社に頼みこみますと、天災の危険を分散するため、関西にもコンピューターセンターが必要で、「土地を買ってもいい」との返事を頂きました。コンピューターセンターを工場として立地を認めてくれるよう再三お願いをし、やっと大阪府の了承がとれて、損害保険会社7社で合計3万坪弱、全体の約20%が成約でき、これでやっと大阪府も国も何とか見込みのあるものだと認めて頂き、会社が存続する事ができました。
その後、テクノステージ和泉が今日の姿になって本当に良かったと思います。想像していたよりはるかに良いまちになっており、これもひとえに皆様のご努カの賜物と感服している次第です。関係の皆様方に心より御礼申し上げ、私の御挨拶と致します。ありがとうございました。
懇親会の様子
久保恒彦氏の謝辞に引き続き、久保家のご厚意により出席者に飲み物、軽食、菓子がふるまわれ、懇親会がおこなわれました。
懇親会は、出席者が久保氏を囲んで往時のお話を伺ったり、記念写真を撮影するなど、賑々しく進みました。あらためて和泉市の発展に尽くされた、久保氏並びに久保家の皆様方のご功労を認識するとともに、本市各界の方々が交流、懇親を深め、大変意義深い一日となりました。
写真で見る久保恒彦氏のご功績
建設直後のテクノステージ和泉の様子
現在のテクノステージ和泉の様子
和泉市久保惣記念美術館
国宝 青磁鳳凰耳花生銘万声
重要文化財 枯木鳴鵙図(宮本武蔵筆)
地図情報
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更新日:2020年03月02日