信太山クロスカントリーの歴史

更新日:2020年03月02日

創設者 堀尾正明氏紹介

とある大会にて、キャップをかぶり上下色違いのスーツを着て左の腰にリボン記章を付けて立つ、堀尾正明氏のモノクロ写真

故堀尾正明氏は(1912年12月4日~1959年12月4日)は、学生の頃から陸上競技選手(長距離ランナー)として活躍。戦前の明治神宮競技大会(現在の国体)でも輝かしい成績を残し、大阪アスレチッククラブ役員、日本陸上競技連盟終身審判員でもあった。第一線をひいてからは、審判や監督として後進を指導し、オリンピック選手育成を目標に、昭和22年現在の大会の基となる「第1回泉北山野横断郊競走クロスカントリー大会」を実施し、昭和29年第1回信太山クロスカントリー大会を創設した。

群衆が見守る中、1と書かれたゼッケンを付けたノースリーブのランニングウェアを着て、ゴールテープを切る堀尾氏のモノクロ写真

現役時代の故堀尾氏

クロスカントリー大会のあゆみ

クロスカントリー大会についての年表
クロスカントリー大会のあゆみ
1947年 陸上競技のオリンピック選考会で惜しくもオリンピック出場を逃した堀尾正明氏が、オリンピック選手の育成を目標に、本大会の始まりとなる「第1回泉北山野横断郊競走クロスカントリー大会」を同年12月21日に実施。
開会式では、ベルリンオリンピックに出場し、5千、1万メートルともに4位の村社講平氏が「私に続く人が、この大会より育って欲しい」と参加選手を激励した。
会場は、堀尾氏の日頃の練習場所(信太山自衛隊演習場)を一般に紹介するため、空池公園(現在の放光池1号公園)とした。
陸上競技の練習には急勾配な坂を上下することが大切であることから、大阪陸上競技連盟、毎日新聞社等の協力を得て、同氏の尽力によって開催された大会は、浜寺、奈良のクロスカンツリーと並び称されるまでになった。
1954年 第1回信太山クロスカントリー大会創設
1959年 堀尾正明氏死去
1961年 故堀尾正明氏の碑建立(1月6日)
1963年 第9回大会より会場を黒鳥山公園に変更
1986年 第33回大会より会場を大阪市立信太山野外活動センター多目的広場に変更
1989年 昭和天皇崩御により大会を自粛
2003年 第50回記念大会より会場を陸上自衛隊信太山演習場内に変更
2013年 第60回記念大会よりウルトラクロスカントリー(20キロメートル)新設
2014年 第61回大会よりファミリーの部(3キロメートル)新設

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